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小島稔校長
校 長
小島 稔


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2020.04.20 震災・原発事故 再考 −学校長挨拶−
                                                     福島県立安積高等学校校長 小島 稔

 平成31(2019)年4月1日、安積高等学校第45代校長として、着任いたしました。当日は、新元号が公表される日であり、校長室のテレビで「令和」の文字を目にしてから、早1年が過ぎてしまいました。
 東京桑野会の皆様には、母校に対して多大なる御支援をいただき感謝申し上げます。昨年6月7日(金)に開催された東京桑野会総会並びに懇親会にお招きいただき、同窓生の皆様と懇談するなかで、母校への熱い思いを感じ取ることができました。
 総会の折にも自己紹介させていただきましたが、ここに経歴とともに震災・原発事故を話題に所感を述べることとします。
 私は、昭和35(1960)年、相馬市生まれの59歳(今年5月で60歳)です。
 自らの三十数年の教員生活を振り返ると、様々なできごとがありましたが、やはり震災と原発事故が教員人生の最後の10年間の方向性を決定づけたのは、間違いありません。平成23年3月の震災発生当時、私は、本宮高校に教頭として勤務しておりました。学校自体は、被害はありませんでしたが、ほどなく双葉郡からの被災者を受け入れる避難所を運営することになりました。4月上旬までの20日あまりの間に、教職員、自治体、地域住民と協力して最大250人ほどの被災者のお世話をさせていただきました。このときは、教員であるまえに、県職員としての公務員の在り方を認識させられました。
 平成23年8月から、県教育庁高校教育課の管理主事として、県全体の教員の人事管理、人事配置の業務に従事しましたが、ここでも被災県である福島の教育の在り方について、行政職の立場から県全体を俯瞰し、各校の課題解決のための人事配置の在り方について悩む日々でした。
 平成26年4月、双葉高校に校長として赴任しました。ご存じのとおり、双葉高校は、福島第一原子力発電所から直線距離にして約10km。原発事故直後は、県内各地に避難した生徒の学習環境を維持するために県北、県中、会津、いわき、相双の各地域にサテライト校舎を設置していました。ところが、学校として生徒の一体感を醸成する必要性から、平成24年4月、県内各地のサテライト校舎を集約するため、いわき明星大学(現・医療創成大学)の校舎を借用して、学校を運営することとなりました。ところが、平成25年12月、県教育委員会は、双葉高校を含めた県立高校5校(双葉、浪江、浪江津島(分校)、富岡、双葉翔陽)を「3年後に休校する」と決定しました。生徒数の激減により、学校運営が困難な状況での決定でした。そうしたタイミングで赴任した私の使命は、在校生、保護者、同窓生の思いに配慮しながら、休校までの3年間の学校経営の舵を取り、休校措置をソフトランディングさせるということでした。
 双葉高校は、震災発生当時約470人の生徒が在籍していましたが、私が赴任した平成26年4月時点での在籍生徒数は、3学年の生徒を合わせてもわずか45人でした。新入生14人は、休校になることを理解したうえで入学してきたのですが、自分たちが最後の生徒であって、後輩が入学してこないという現実をわがこととして直視できていたのかは疑問でした。同窓会総会では、「休校に至った経緯について校長から説明を聞きたい!」と大声で質問され、私が説明を終えると、「その間、同窓会は何をしていたんだ!」と、同窓会長が罵声を浴びせられるということもありました。しかしながら、原発直下の双葉郡の現状に鑑み、学習環境の整備という課題に対しては、双葉郡8町村の教育長連絡協議会が提案した、「新たな中高一貫校の設置」という要望が、県立高校5校を休校にしてもなお、現実的な解決策でした。平成27年4月、広野町に「ふたば未来学園」の高校が一足先に開校し、平成31年4月には併設中学校が開校しました。
 こうして、平成29年3月末に、双葉郡の5校は、ひっそりと休校しました。
 双葉高校は、夏の甲子園に3回の出場を誇り、旧制中学創立以来93年の歴史と伝統に裏打ちされた教育活動に、いったん幕を引くことになりました。
 私はいまでも、双葉高校同窓会の東京支部である「東京栴檀会」の総会にお招きいただいております。母校の校長としての3年間に加え、休校後の2年間も続けて参加し、福島県の高校教育の現状と課題をお話しさせていただくとともに、双葉高校の現況もお伝えしてきました。双葉町にある双葉高校の本校舎2階音楽室に、双葉町を見つめるようにスクールカラーである緑色の双葉ダルマを設置してきました。胴の部分には、「復活双高」の文字が記されています。休校となってはいますが、今年で創立97年目を迎えます。同窓会の当面の目標は、100周年記念事業を成功させることです。
 平成29年4月に郡山高校に異動した際には、東日本大震災、特に原発事故による双葉郡の状況に関心が低いことを危惧しておりました。着任式において、原発事故や避難せざるを得なかった高校生の話をしましたが、反応はいまひとつでした。おそらく、郡山高校の生徒たちのなかにも、双葉郡から避難している生徒がいたはずですが、それを口にできないのは、「風評」による誹謗中傷、いじめを恐れるからだということも、容易に想像がつきました。その後、生徒全体の前では、原発の話を控えることにしました。
 平成30年4月からの福島県教育庁高校教育課長を経て、平成31年4月に安積高校に着任しても、双葉郡の現状と課題について、全校生徒の前で話すことはありません。一方で、昨年4月から、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の2度目の指定を受け、探究活動とも関連付けながら、原発事故、放射線防護をテーマにして研究発表する生徒たちの姿が見られます。前回のSSH指定終了から12年の空白期間がありますが、震災・原発事故・少子化・SDGsなど、時代の変化に対応した課題解決に向けた探究活動と教育プログラムを着実に推進しております。
 一例を挙げれば、8月1日から6日まで、安積高校が主催した「国際高校生放射線防護ワークショップ」です。県内からは安積高校、福島高校、ふたば未来学園高校、県外からは東京都立戸山高校、フランスの私立ノートルダム高校など5校から計28名が参加しました。県環境創造センター、ふたば未来学園高校、東京電力廃炉資料館、富岡町学びの杜(第4回福島第一廃炉国際フォーラムに参加)、中間貯蔵施設、福島第二原発の見学などをとおして学んだことを、最終日に衆議院議員会館国際ホールでプレゼンテーションしました。私もプレゼンテーションと修了式に参加しましたが、高校生の新鮮な視点での発表に感心させられたとともに、社会科教員として血が騒いだというか、大いに刺激を受け、まだまだ自分もやらなければならないことがあると実感させられました。
 これだけの企画ですので、運営協力をいただいたNPO法人ドリームサポート福島の皆様をはじめ、特別協賛をいただいたサッポロホールディングス、東芝国際交流事業団、認定NPO福島100年構想委員会の皆様には、心より感謝申し上げたところです。
 また、春休み中の3月20日から28日までの予定で、安積高校の教員2名が本校2名と福島高校2名の生徒を引率して、フランス放射線防護評価センター主催による高校生国際交流会に参加します。これも、ドリームサポート福島及び福島100年構想委員会の皆様の御協力、御支援により実施に至りました。
 このように、多くの方々の人的支援及び経済的支援なくして、安積高校や県内の公立高校における充実した教育活動、学習活動は実践できません。東京桑野会の皆様をはじめ、福島県内、郡山市内の同窓生の皆様におかれましては、現役の後輩諸君の学習活動に対して、引き続き物心両面からの御支援を賜りますようお願い申し上げます。
 高山樗牛、新城新蔵、朝河貫一ら、時代の開拓者によって受け継がれた「安積の精神」を継承し、現代社会の開拓者となるべく、高い志を持って勇躍、海外研修に参加しようとする現役生の学習機会を次年度以降も発展・拡大したいと考えておりますので、皆様の御理解御協力をお願い申し上げます。
 福島県では、ここ数年来、「地域とともにある学校」という教育目標を掲げています。通学区域が広範囲にわたることから地域との関係が希薄であった高校においても、地域課題の解決に向けた探究活動やアクティブラーニングの実践とを関連付けた活動を推進しています。SSH事業、探究活動においても、郡山市から御協力と御支援をいただいております。 
 教育における「不易と流行」ということは、よく言われることですが、安積高校においても、135年の歴史と伝統に裏打ちされた「安積の精神」は変わることなく次代に継承され、一方で、学習活動については、時代のニーズに応じて変化し続けなければなりません。
 四書五経のひとつ『易経』にも、「易は、窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず。通ずれば則ち久し。」とあります。東日本大震災という未曾有の大災害の後にも、日本の各地で地震、豪雨による災害が続き、昨年の台風19号による豪雨災害では、郡山・本宮をはじめ、県内各地でも大きな被害が発生しました。また、この暖冬による雪不足が春からの水不足を予感させます。このように不安感漂う時代にあっても、「安生」諸君には、本校SSH事業のキーワードである「レジリエンス」を身につけ、前途多難な時代をたくましく生き抜いていくことを期待します。
 ここまで、個人的な体験に基づく稚拙な文章で恐縮いたしますが、私の教員生活も残すところ1年という節目にあたることから、雑感をとりとめもなく述べさせていただきました。寛容の心を持ってお許しいただきたく存じます。
 結びに、東京桑野会の皆様におかれましては、郡山に帰省された際には、母校安積高校の現状と課題をつぶさにご覧いただき、御指導御助言を賜れば幸いです。校長室にも御遠慮なくお越しください。
 安積高校の校長室の扉は、すべての同窓生に開かれております。

<東京桑野会会報42号掲載記事からの転載>

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