安積130年の風景
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校長 久保田 範夫(88期)
 明治17(1884)年、22歳の森鴎外がドイツ留学へ旅立ったのがこの年でありますが、本校は福島県福島中学校として歩み出し、明治22年には、福島から当時の安積郡桑野村の新校舎、現在の安積歴史博物館に移転し、以来、約33,000名の有為の人材を世に送り出し、今日まで130年の長きに亘って先導的役割を果たしてまいりました。
 卒業生は、エール大学教授を務め、世界平和こそが人類の永遠のテーマであることを生涯訴え続けた国際的な歴史学者朝河貫一博士を始め、全国でも4校だけ(注:都立九段と日比谷、私立麻布、そして安積)と聞いていますが、芥川賞作家を3名輩出するなど、様々な分野で活躍されてきました。
 その間、まさに21世紀が動き出した平成13(2001)年に、男女共学化という大きな動きがありましたが、本校の生徒達は「開拓者精神、質実剛健、文武両道」の「安積の精神」を常に先輩達から学び取りながら、時間や言葉・記憶を共にし、「安積」という学校文化を3年間共有して、まさに安高生の矜恃・プライドを身につけ伝統を築き上げてきたのだと私は考えます。
 その中で、安高生は、安積の精神と伝統をただ受け継ぐだけではなく、明治・大正・昭和、そして平成の各時代背景の下、「真の安高生は如何にあるべきか」「安積らしさとは何か」を絶えず自らに問いかけて検証し、自主自律の精神のもと、新たな伝統を創造してきたのであります。また、「安積の精神」の中でも開拓者精神は、大きな困難に立ち向かい自分の人生を切り拓いていくということだけではありません。つまり、自分がしたいことを貫くことに加えて、大震災後のふくしま、日本、そして人類のために、「熱誠 事に当たりなば」、熱き誠の心をもってに当たろうという高き志を掲げて、夢に向かって進んでいくこと、それが安積の開拓者の真の姿と言えるでしょう。
 近代短歌を切り拓いた浪漫派の歌人与謝野晶子は、次のような短歌を残しています。
  『劫初よりつくり営む殿堂に われも黄金の釘一つ打つ』
 遠い遠いこの世界の初めから人間は、文化遺産ともいうべき文芸・文学という無形の殿堂を営々として築き上げてきたが、自分も釘一本なりと打ち込み、ささやかではあるがその営みに参画したい。それも、ありきたりの鉄の釘ではなく光り輝く黄金の釘を。
 私は、本校1期生高山樗牛の時代から、現在の1年生である130期生に繋がる安積の生徒たちが営々と築き上げてきた大きな殿堂が安積高校である、と捉えています。気宇壮大な与謝野女史の足元には及ばなくとも、安積という殿堂に集う私たち教職員・生徒が、一人ひとり持っている釘をしっかりと打ち込み、この殿堂をより高く、より大きくしていきたいと考えております。その釘は、プラチナかも知れないし、或いは鉄や木製のものもあるかも知れませんが、この殿堂のどこかに打ち込む場所が、釘がぴったりと収まる場所が必ずあるはずです。仮に、在学中にうまく釘を打ち込むことができなかったとしても、大震災の経験をしっかり踏まえて、生涯に亘って知性を磨き続けることによって、安積という殿堂を確固たるものとすることができるはずであります。
 こうして、140 年、150 年の時を経た未来の安積の殿堂を見据えながら、教職員、生徒一同が力を合わせて、安積の良き校風と伝統を更に揺るぎないものとし、校歌にもあるように「七州の覇」と称えられるに相応しい安積高校にしていくことを改めて決意するとともに、安積桑野会の同窓生を始め、今まで安積を支援していただいた全ての皆様に感謝の気持ちを捧げ、式辞といたします。