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86期の本田宏氏
86期 本田 宏
2007.04.08 医療崩壊をどう食い止める ―朝河貫一先輩に学ぶ―

【はじめに】
 昨年(平成18年)の6月24日の東京桑野会総会の席上、古川会長のお許しをえて日本の医療現場(特に急性期医療)が崩壊を始めたことを紹介させていただいた。その後斉藤英彦幹事長から、先日の話を会報に寄稿してはとのお言葉をいただいた。せっかくの機会、同窓の皆様に日本の医療崩壊とその背景に潜む問題点について私見をお聞きいただきたい。
【医療崩壊、立ち去り型サボタージュとは何か】
 高校時代はサッカー部、将来は飛行機のパイロットを夢見ていた私だが、ふとしたきっかけで医学部へ入学、昭和54年に弘前大学医学部を卒業、現在まで28年間外科医として働いてきた。今までの医師としての人生に悔いはない、しかしもう一度生まれ変わったら医師という職業選択をするだろうか、自信はない、それが日本の急性期病院の労働環境だ。
 「医療崩壊、立ち去り型サボタージュとは何か」(虎ノ門病院泌尿器科部長の小松秀樹氏著、朝日新聞社)という題名の本が医療関係者のなかで話題となっている。立ち去り型サボタージュとは過酷な労働現場から30−40代の一番働き盛りの勤務医が立ち去って開業などへ走ることを表した言葉だ。私はすでに50歳をこえ、数年前から副院長だが今でも365日枕元に携帯電話をおいて寝ている状態、勤務医の現場から立ち去ることができたら、外科医を引退できたらどれだけ楽だろうと思う、それが現在の急性期病院の勤務医の実態だ。
【日本の医療、4つの問題点】
1. 日本の医療費(GDP当り)は先進7カ国中最低、逆に国民自己負担は世界最高。 
  日本で盲腸(急性虫垂炎)の手術をすると7日間入院して総医療費は30万円程度、しかし米国では1泊入院で100万円以上だ。また日本のお産は30-40万円だが、米国では300万円だ。
  このように日本の病院が受け取れる医療費は先進国最低レベルだが、信じられないことに国民負担割合は世界一のため(盲腸3割負担なら日本は10万円、ヨーロッパは個人負担無料の国が多い)、日本国民は医療費が高いと感じ、医療費増には反対する、国からすれば安上がり、国民や医療関係者にとっては辛い、巧妙な構図となっている。
2. 日本の医師の絶対数不足だが、医師不足は偏在が問題と片付けられている。
  日本の医師数26万人は国民人口当たり世界63位、OECD(経済協力開発機構)加盟国人口当りの「平均」医師数と比較するとなんと12万人も不足している。これが日本各地で噴出する僻地や産婦人科・小児科不足の根本原因。しかし厚労省の医師の需給検討会等ではこの絶対数不足を偏在が問題とすりかえてきた。日本が永年医師養成数を抑制してきた背景には医療費抑制という国家的目的があったためである。
  しかし医療の複雑化・高度化に見合うマンパワー増員を怠ってきたツケは、当直明けもなく32時間以上の連続勤務が常態という勤務医の労働環境悪化だけでなく、さらに日本の基幹病院にさえ救急、麻酔、抗がん剤、緩和ケア、病理、感染症、精神科等の常勤医がいないというお寒い医療体制という結果になっている。たとえば私を含め、日本の多くの外科医は外科手術以外に、救急、麻酔、抗がん剤、緩和ケア等、一人何役もの働きを現場で要求される。そしてこれが日本の医療の質を高めにくい大きな原因となっている。
  先日福島県の県立病院で、不幸にも出産時に母親が亡くなった件で、担当した一人医長(産婦人科医が一人しかいないという意)の産婦人科医が事件の1年後に突然逮捕された。この医師が殺意や障害の意図を持って妊婦さんの命を奪ったのならともかく、通常の医療行為に警察が介入し、刑事罰により結果責任を問う国は先進国では日本だけだ。しかも医療のプロでない警察や検察が調べに当たって犯罪か否かを問うている。現在の医療は細分化し、現役医師であっても担当科が違えば他科の診療の適否を容易に判断できないのが現実だ。犯罪かどうか、ではなく、医療として適切かどうか、プロの目できちんと調べ、裁断する強権力を持った中立の組織が日本にも必要だ。医師の絶対数不足のためにチーム医療体制はもちろん、ろくに休みもとれない一人医長の現場は放置、何かあったら逮捕するでは、立ち去り型サボタージュはもちろん日本の医療崩壊を食い止めることは不可能だ。 
3. 医療費削減の前に特別会計や公共事業の無駄見直しが先決。
  先に日本の医療費(診療報酬点数:公定価格)が世界的に見ても低く設定されていることについて触れたが、公共事業の法外なコストと比較すると医療改善の解決の糸口が見えてくる。
  日本の高速道路には500mから1kmおきの上り下り両側に緊急電話が設置してある。緊急電話一台の設置費用は250万円だが、なんとその原価は40万円という。人の命にかかわる盲腸やお産は30万円、胃癌の手術で3−4週間入院しても日本は120万円だ。一方、携帯電話の普及でほとんど使われないはずの緊急電話一台が250万円、これを理不尽と言わずして・・・。
  私は本当に必要な公共事業は今後も実施すべきと思う、しかし携帯が普及している現在、緊急電話設置の意義は再検討すべき、今後設置するにしても緊急電話一台は50万円以下で作ってほしい。恐らくは一時が万事、公共事業をはじめ特殊法人等の随意契約や天下りを見直すだけでも、国民の窓口負担を軽減しながら、日本の医療体制を先進国並みにすることは可能なのだ。
4.自殺大国・格差拡大社会を放置では国が崩壊する、「医療は命の安全保障」。
  財政赤字とは言っても、国連やODA拠出金は世界トップレベルの日本だが、自殺者は8年間続けて3万人を超え、世界の自殺大国となって久しい。OECDの調査では2005年国民の豊かさランキングでは日本は10位と低迷、2000年の相対貧困率は米国についで第2位に急上昇した。さらに国際経済フォーラムによる国際競争力では頼みの綱の経済競争力が9位から12位に転落している。よくスウェーデン等北欧型の福祉国家を「税金が高くて経済が駄目になる」と酷評する評論家等を見かける。しかし北欧諸国は上記調査結果で、国民の豊かさは上位でなおかつ貧困率は低く、さらに国際競争力は高い。資源の少ない日本こそ見習うべきは米国型より北欧型ではないだろうか。日本が今のままの米国追従の経済最優先策では格差社会は拡大し、医療崩壊どころか国が乱れて崩壊する。日本こそ国民という資源を最大限に生かす政策を採るべきだ。
【朝河貫一先輩の箴言】
 先日桑野会で購入した「世紀を越えた偉人、今に生きる朝河貫一、その生涯と業績」から、現在の医療や日本が抱えた問題点を予言する箴言を発見した。
 氏は1898年(明治31年)頃、すでに日本の自国利益を追い求めようとする姿勢と、閉鎖的な考え方に対して厳しい注文をつけている。さらに歴史的な流れをもとに日本の国民性について「愚かな指図や悪い指揮にも簡単に従ってしまう傾向がある」と苦言を呈した。また国家のあり方について「国家はその国民が人間性をもっているかぎりにおいてのみ、自由な独立国である。しかしその政治体制が民主主義の組織をそなえているというそれだけでは、自由な独立国とはいえない。自由主義にあっては、その国民が世界における人間の立場を、すべてにわたって意識するまでに進歩しているかどうか、それこそが重要である」と述べている。
 さらに第二次世界大戦前から日本の態度について「国際感覚の不足が、日本の将来に禍いをもたらすのではないか」と厳しく忠告、開戦後も「戦いのことについての日本の記事は当地の新聞より短く、本国の日本人には何も知らされていないのではないかと心配です。(事情がよく知らされていない日本では)罪のない忠実な一般の人民が最も気の毒であります。」と心を痛めていた。日露戦争後に増長する母国日本の姿を見て記した警告の書『日本の禍機』から30数年、日本は軍人・軍属・民間の人々をあわせて230万人もの戦死者を出し、広島と長崎には世界で初めての原爆が投下されるなど大きな犠牲を払って朝河先輩の警告の本当の意味を知ることになった。これが動かすことができないわが国の歴史である。そして今こそ朝河先輩の箴言を私たちは世に問いかける時と思う。
【なぜ日本がこうなった】
 なぜ日本がこうなったか、私はその原因を第一は日本の指導者層が「武士道精神≒ノブリス・オブリージェ」を失ってしまったこと、第二に戦前と同様メディアの機能不全により、国民に真実が伝わらないため、と考えている。
 昨年、日本の超エリート階層(のはず?)が「お金を儲けて悪いんですか」や「ど素人ですから・・」と発言した。はたしてこのような自国の偉大(?)な先輩を見て、子供たちは日本を、そして日本人を尊敬できるだろうか。
 さらに戦前とは生まれ変わったはず(?)だが、「社会的木鐸」という言葉からはかけ離れた視聴率最優先のメディア。興味本位で時々の事件に左右される話題ばかり、国民が本当に知り、深く考えなければならない大切な情報が伝えられていないと思う。朝河先輩の苦言通り、いくら日本が民主主義の形態はとっていても、精度とともに送り手の倫理観の高さを感じさせる情報がなければ、国民が正しい判断をすることは不可能だ。
【おわりに】
 勤務医の生活から逃避したい等、意気地がないことを書いてしまった。しかし医師になって本当によかったと思えることがある。それは数多くの患者さんの生死に触れ「人生、生きていく上で最大の目標や価値は金ではない」ということを、自分が健康なうちに体得できたことだ。人の根源的な悩みは四苦八苦の四苦「生老病死」であることは2500年前のお釈迦様の時代から変わっていない。
 混迷する日本が、そして世界が21世紀に必要としているのは、敗戦後に日本で重視されるようになった偏差値エリートではなく、良い意味での武士道精神を持つ真のエリートではないだろうか。朝河先輩を生んだ母校、世界で通用する真のエリート育成を目指す学び舎として21世紀も発展していくことを期待してペンをおきたい。
(日本の医療界自身も自己改革を必要とする面も多いが今回は紙面の関係で触れていない。皆様の忌憚ないご意見やご批判をいただければ幸甚の至りである。)

                              (埼玉県済生会栗橋病院副院長、医療制度研究会副理事長 86期 本田 宏)

 医療制度研究会ホームページ http://www.iryoseido.com/


<東京桑野会会報29号掲載記事からの転載>
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