117期 丹治亮介
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2009.04.05 「志と心意気」でつなぐ架け橋−グリークラブ、ブラジルでの日本人移民百周年記念公演を終えて−
丹治亮介(早稲田大学政治経済学部4年:投稿当時[2008年度])氏
※早稲田大学グリークラブ101代/2008年度・部長
私が代表を務めていた男声合唱サークル、早稲田大学グリークラブは昨年9月16日から26日までの11日間、ブラジルのサンパウロ、カンピーナス、リベロンプレット、リオデジャネイロの4都市7箇所で、ブラジル日本移民100周年を記念した海外公演を行ってきた。ブラジルは日本から飛行機でも27時間。もっとも遠い国の一つでありながら、日系人が130万人ともっとも多い国である。
では私たちはブラジルについて、そして日系移民についてどれくらい知っているだろうか?
私は今回の公演計画を現地の実行委員会から提案された2年前、私はブラジルの全知識はコーヒー、カーニバル、アマゾン程度。日系移民についてはほとんど何も知らなかった。「ブラジルは楽園で、2、3年で大金を稼いで帰る。そのつもりが、着いたところはうっそうとしたジャングルで、食べるものがなくて蛇まで食べた人もいる・・・」なんてことは知る由もなかった。そんな苦労を乗り越えて日系人は、今のブラジルに社会的地位を築き上げてきた。現地で「HONDA」や「YAMAHA」の看板を幾度となく目にした。そのような理由から、日本とブラジルでは100周年の捕らえ方は違ったものである。現地では100周年を応援するCMが流れ、街中で100周年の看板が立っているなど大変な盛り上がりだった。
とは言うものの、計画段階では治安や、費用など問題は山積みで何度も挫折しかけたのも事実だ。それでも実現しようと思ったのは安積高校時代の経験による部分もあったと思う。
そもそも私は安積高校時代には合唱部ではなく剣道部であった。チームは福島県史上初の男女団体個人優勝という輝かしい成績を収めた。しかし自分は補欠にもなれなかった。それでもやめなくてよかったと胸を張って言える。後から振り返ればあの厳しい練習や、数々の遠征、高速を降りた直後にバスがガス欠でみんなで押していったことが笑って思い出される。
今はきつくても何年か経って振り返れば必ずいい思い出になる。そんな確信めいた想いを信じて今回のブラジル演奏旅行を実現させた。そしてその確信は間違いなかった。
さて歓迎ムードの中、演奏会は大成功だった。日本の民謡メドレーでは聴衆のみなさんが口ずさみながらハンカチで目をぬぐう光景が見えたり、初めてのスタンディング・オベーションも体験することができた。握手やサインを求められたり、感情表現はみんなストレートだ。
演奏会以外でも、TVでドラゴンボールが放映されていたり、ブラジル人に谷崎潤一郎について質問され返答に窮したり、小学校低学年の子供たちに日本語で「こんにちは!」と挨拶されたり、何の肉か聞いてみたらカピバラ(世界最大のネズミの一種)だったり、時間通りに進まないことに慣れてきたり、日本にいただけでは想像もつかないことが、次から次へと起こっていく。
「志と心意気」。今回、同行していただいた理工学術院の大泊巌先生のお言葉だ。自分にはなんの得にもならないかもしれない。もしかしたら損するかもしれないが、やってやろうという心意気が大切だと。今回の公演には本当に多くの方々のご協力をいただいた。ブラジル稲門会、大学の方々、翻訳してくれたブラジル人留学生、現地で通訳してくれた早稲田の留学生、リオの実行委員会、OBの方々、安高OBにもアドバイスを頂いた。書ききれないほどの方々の「心意気」のおかげで無事成功することができた。
現在、日本には約30万人の日系ブラジル人が、出稼ぎとして働いているという。私たちの「心意気」で、日本とブラジルをつなぐ架け橋になれたらと思う。
(117期:丹治亮介)
(当ホームページには写真は掲載されていません。)
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