東京桑野会会員からの特別メッセージ 10号 | ||||||||
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71期 大内博文 |
2009.07.30 横浜開港150周年 2009年6月2日、新しく整備された「象の鼻パーク」で記念式典が行われました。9月までさまざまなイベントが企画され、7月18日から26日までの「海フェスタ よこはま」が人気を呼んでいます。MM21地区から新港地区(赤レンガ倉庫)、大さん橋埠頭、象の鼻パーク、山下公園を中心に大勢の観光客が集まっているのはテレビ放映その他でご存知かと思います。 横浜は1858年の日米修好通商条約締結により翌1859年6月(安政6年)開港となりました。開港に至るまでの経緯については皆様ご案内と思いますので省略しますが、ペリーが1回目・2回目来航の折、浦賀・横浜沖水域の測深を強行したことは関係者以外あまり知られていません。ペリーが最初に来航したとき既に伊能忠敬が測量した地図を入手していました。定かではありませんがシーボルトが国禁品である測量図を持ち出し、1852年頃にペリーがシーボルトより買い取ったとの話しもあります。「地図」には海面上ある島などのものは表記されていますが水中(海面下)は何もありません。艦船が航行するためには海中の様子がわからなければ動きが取れません。そのために1回目から測深を強行していたのです。この測量した結果を地図に書きこみ、それに緯度・経度を入れたのが「海図」として使用できるのであります。「浦賀」ではなく「よこはま」が選ばれたのは「江戸に近い」、「泊地として外洋に近い浦賀より最適」、「米軍艦の喫水が5〜6Mで『よこはま』沖は水深7〜15M」、又「大砲の射程距離が米軍1600M、幕府軍800M」など万一のときにも安全との説もあります。 皆様ご承知のように開港後の横浜は日本の中心的な港湾として発展し現在に至っています。従来、港は貨物の積み・降ろしの利便性から陸上側(道路)に倉庫がありその裏手が岸壁で一般人が近寄れる所ではありませんでした。したがって陸側からの景観・アクセスに重点が置かれ、海側からの景観には配慮されていませんでした。その点外国の港には海から港の特徴を十分に検討され配慮されているところが多くあります。最近日本の港、特に横浜港は海側からの景観に変化が出てきました。横浜港の中心部(MM21地区)の再開発を機に、ランドマークタワー・ベイブリッジ・大さん橋・山下公園などの配置に見るべきものがあります。この方面で横浜市に協力している安積同窓生に78期桜井 淳氏がおりますが皆様ご存知だったでしょうか。チャンスがあったらクルーザーやヨットなどで海からの景観を楽しんでは如何でしょう。ベイブリッジ・ランドマークタワーのかなたに富士山を見ることも出来ます。 7月20日「海の日」。大さん橋埠頭に 航海訓練所の練習船「日本丸」・「海王丸」が同時着桟、ランドマークタワー横に休んでいる「初代 日本丸」の3隻揃っての同時「総帆展帆」が行われ、多くの人に感動を与えました。乗船中の実習生と乗組員によるチームワークは一糸の乱れもなくスマートに全ての帆を開き3羽の白鳥を見るようでありました。特に「初代 日本丸」には実習生が居りませんので、船員OBや一般人からなる「ボランティア」倶楽部のメンバーが確実な作業をこなしていました。「初代 日本丸」には大きな歓声が上がったのは当然であります。 「海の日」が国民の祝日になったのは1995年(平成7年)、その後7月20日が7月の第3月曜日になりましたが、中央・地方行政はじめ企業や船員など海事関連の団体などが盛り上げるべく努力しています。平成19年「海洋基本法」が制定され、「海洋基本計画」が策定実施されました。しかし、海事関連業界の人材確保が非常に難しくなっている現状は、特に船員(海技者)の後継者確保に厳しい状況です。船員(海技者)教育を目的とする大学・高専への入学希望者はますます減少してきています。旧商船大学OBを主体とした同窓会(社)海洋会も若手入会者は激減し、旧高等商船の諸先輩の高齢化とともに会員の急減から活動の停滞が起こっています。若手の参加が少ないのは桑野会も同様かと思います。若い人に魅力がないのは何故か、どうしたら集まってくれるのかなど各桑野会も動き出しているようですが良い解決策を見つけたいものです。母校安積の大学別入学者リストに東京海洋大学(旧東京商船大学)への入学者は見当たりません。昭和30年代までの安積卒業生もそれなりに大学・海運界など海事関連業界で活躍していたのですが今はそれを望むべくもありません。船乗り(マドロス)稼業も決して悪いものではありません。ソマリア沖の海賊問題は解決に至っていませんが、日本の自衛艦も守ってくれるようになりました。進路の選択肢として子供に勧めてください。又本人は決断してはいかがでしょうか。日本は海洋国家です。海に守られてきましたが、これからは海を守らなければなりません。海洋資源・水産資源の確保と海上貿易無くして日本国民は生きてゆけないのです。 平成21年7月24日 記 東京桑野会 大内博文(安積高校71期) |
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