東京桑野会会員からの特別メッセージ 12号 | |||||
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91期 渡部良朋 |
2010.06.06 スクールカラー「紫」考 なぜ安積高校のスクールカラーは紫なのか? 渡部良朋(電力中央研究所上席研究員〈兼〉東北大学大学院客員教授) 今年初め、東京桑野会事務局に、一つのメールが入った。母校の生徒会会長を務める相楽純君からである。"生徒会機関誌「安積野」の編集を行っていて、現在安高生の素朴な疑問に答える記事を製作していますが、そこで出てきた素朴かつ興味深い疑問に、「なぜ安積高校のスクールカラーは紫なのか?」というものがありました。安高=紫というイメージは当たり前のように入学当初から持っていましたが、いざこのような質問を受けると答えることができません。わかりますでしょうか?」"というものであった。これに反応した広報部は、以下のような返事を送った。 "ご質問の事項、私が現役生であった30年以上前にも、同じような疑問で調べたことがあったのですが、良くわかりませんでした。その後、いろいろなことを知るうちに、私の中で得られた"見解"をお伝えしようと思いました。ご参考頂ければ幸いです。 古代の中国では、紫は高貴な色でした。その影響を受け、古代日本においても紫は高貴の色でした。大化の改新(西暦646年)で天皇を頂点とした政治体制が作られてゆく中で、冠位七色十三階が定められましたが、最高位の服色を深紫(こきむらさき)としました。これより、深紫を初めとするいくつかの色は、一定の官位以上の者以外の使用を禁じられました。これを禁色(きんじき)と言います。禁色の原則は、江戸時代まで続きました。一般の人々が紫を自由に使用できるようになったのは、明治時代以降のことです。 明治期の学校というものは、現在と比較にならない位に権威があり、また、重要な存在でした。権威の象徴として、スクールカラーに紫を採用するようになったということが一般に言われていることのようです。スクールカラーに紫を採用する大学は多いですね。東北大、立教大の紫、明治大、同志社大、駒澤大、関西大の紫紺、九州大のワインカラー、國學院大の古代紫、筑波大の筑波紫等があります。私は筑波大学の出身ですが、校章やスクールカラーと学校の関係について筑波大を例に述べます。 筑波大学の開礎は、明治5年(1972年)です。安積の関係者は見た人が多いと思いますが、NHKスペシャルドラマ"坂の上の雲"では、秋山好古が、最初 官費で学べる師範学校(大阪)へ行き、小学校校長を経て、陸軍士官学校に入ることが描かれています。明治5年にできた師範学校の第一号(東京)(宮立学校の第一号でもある)は、後に東京師範学校→高等師範学校→東京高等師範学校→東京文理科大学を経て、第二次世界大戦後 東京教育大学となりました。東教大は、1973年に筑波大学になり、私は1978年入学の第5期生です。東京の師範学校は、徳川幕府の昌平坂学問所(昌平黌)の跡地(現在の湯島聖堂。湯島聖堂には、<近代教育発祥の地>という説明板がある)に作られ、国学の流れを組む学校として展開しました。同様に昌平坂学問所(昌平黌)の跡地につくられた、徳川幕府の天文方の流れを組む開成所は、種痘所の流れを組む医学所とあわせ、洋学を輸入し日本に取り込み展開する東京帝国大学へと発展していきました。日本の精神と文化を学び育てる国学と、技術や制度を導入・発展させる洋学の両方の基礎があって、日本は壮大な叙事詩「明治時代」を書き上げました。 筑波大学の校章「五三の桐葉型」は1903年に改定された東京高等師範学校生徒徽章に始まります。この経緯については「教育尊重の意味にして宮内省より特別に允可、ただし宮中の五七の葉を避けて、五三の桐とすることとした」と伝えられています。その校章を描く色は筑波大学になってから、イメージを統一しアイデンティティーを形成するために、「筑波紫」と定められました。校章やスクールカラーというものは、つまり、深い意味をもっているのですね。 安積高校の旧制中学から続く応援歌の中には、旧制高校から'頂いた'(悪く言えばパクリ・・・)ものがいくつかあります。昔は、(旧制)中学で学ぶ、(旧制)高校で学ぶ、(旧制)大學で学ぶ、ということは大変なことで憧れであった。そんなこんなで、'礎かたき学び舎'である安積のスクールカラーが紫になったのでしょう。いつ、誰が決めたのかは、残念ながらわかりませんでしたが、私はそのような見解を持つにいたっております。 安積の校章は「フロンティアスピリッツ」を、スクールカラーは「高貴さ」を表しています。生徒さん達には、安積で学ぶことの意義と意味を知り、自分を鍛え磨いて欲しい、と願っています。それでは!"。 ちょっと私自身の宣伝も・・・でしたが(すみません)、東京桑野会の皆様もご笑覧下さいませ。っとここまで書いていて思い出した。朝河貫一氏がエール大学で博士号を取得したのが、『大化の改新の研究(英文)』であった。この中で、冠位七色十三階はどのように書かれていたのだろうか。うーむ、矢吹晋先生に聞いてみよう。それより、原本を自分で調べろ、って、か(笑)。《笑ってごまかせ!←91期3年6組駒田学級のモットーです、ハイ・・・》。 |
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