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86期の八巻俊憲氏
86期 八巻俊憲


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2013.04.06 政財界は科学的議論を -原発の安全性-

 河北新報投稿記事(2012年8月29日)より
                                                  福島県立田村高校教員 八巻 俊憲(86期)

 原発は、言うまでもなく人間の技術によって稼働される。原発の安全上最も必要なのは、平時の運営はもちろん、緊急時の判断と対処が科学的な事実認識に基づいて行われることである。科学的に認識された事実を無視すれば、とんでもない結果につながることは誰にでも分かるはずだが、政治・経済界のリーダーたちは既存の経済体制に目を奪われ、科学を軽視した判断や主張を繰り返している。
 筆者は高校で理科を教えている。「地学基礎」という科目では、日本が4枚のせめぎあうプレート上にあり、世界でもまれな地震列島であることや、今後起こるべき地震の可能性について詳しく学ぶ。福島第1原発事故後、東南海地震の危険性に対し最も警戒すべきだと言われてきた中部電力浜岡原発を停止したことは、このような基礎的な科学知識に照らして適切であった。この判断を経済的見地から批判する人たちは、高校レベルの科学的知識を無視していることになる。
 2011年12月に福島第1原発の各原子炉が「冷温停止状態」に至ったと報道されたが、事故を起こした原発が平常の状態に戻ったわけではない。原発では、発生する膨大なエネルギーを制御できること、生成する放射性物質を完全に閉じ込めることが、科学的な前提だが、事故を起こした原発はどちらもできていない。
 野田佳彦首相はこれを「事故の収束」と表現したが、一国の首相がこのように科学的に間違った認識に基づく声明を出すことも、それを指摘して訂正するように働き掛ける専門家がほとんどいないことも理解できない。
 さらに首相は安全性の確立されていない関西電力の大飯原発を、政治的判断と称して再稼働させた。科学技術が安全性の決定要因であるべき原発について、科学的事実を無視した判断はあり得ない。
 経団連や経済同友会のリーダーたちは放射能の絶対的な危険性に目をつぶり、電力供給という経済的な目的を優先させようとばかり考えている。福島では数基の原発の事故が計り知れない経済的損失をもたらしているにもかかわらず、同様のリスクを他の原発立地地域に負わせることにためらいを感じていないようだ。
 原発立地地域と、その周辺自治体百万人単位の住民を愚弄するばかりでなく、現在も収束していない福島第1原発の危険を国中に拡大する行為だ。科学は、経験による実証性が大きな特徴である。未曾有の事故という経験によって実証された危険性を無視しては、科学の発展も記述の向上もなし得ない。
 原子力には、核廃棄物の最終処分という、物理的に不可避のプロセスがあり、その具体化は差し迫った課題である。最終処分後の安全対策にも長い時間を要する。そのリスクとコストを未来の世代に押しつけることについて、現在のリーダーたちはいつ承認を得たのだろう。リスクを被るのは若い人たちをはじめとした未来の世代なのに、リスクをつくり出してきた世代である現在のリーダーたちはあまりにも身勝手ではないか。
 一度事故を起こしたら、処理だけで何十年かかるか分からず、原状回復も経済的保障も不可能となってしまうような不完全な技術に責任を持てるリーダーは存在しない。エネルギー政策や経済政策は、科学的実証性のある知見を基に議論され決定されなければならない。それが福島第1原発事故の最大の教訓だ。

※) 本記事は、2012年8月29日(水)河北新報に掲載されました。
 

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