安積高校校長からの特別メッセージ 5号 | |||||
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安積高校校長 鈴木 芳人 |
2022.03.12 御舘校のことなど 福島県立安積高等学校校長 鈴木 芳人 会員の皆様には、日頃より母校に多大なる御支援をいただきますこと、感謝申し上げます。令和3年4月1日、安積高等学校第46 代校長として着任いたしました。着任早々、4月15日に東京桑野会古川清会長の訃報に接することとなりました。私はお会いすることが叶いませんでしたが、過去の会報に寄稿された巻頭言からは、古川会長の外交官としての経験を踏まえた平和を希求する心情や、母校の後輩を思う気持ち、そして何よりも安積の卒業生としての矜恃が伝わってまいります。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 令和3年度は前年度同様、新型コロナウイルス感染症に翻弄される一年となり、教育活動は大きな影響を受けております。東京オリンピック・パラリンピックの開催と軌を一にしたような感染拡大第5波の襲来があり、学校生活は感染予防のため制限を余儀なくされました。安積黎明高校との野球部定期戦、校内ロードレース大会等は中止せざるを得ず、部活動の大会、コンクール等は開催されたものの、無観客か観客数が制限される場合が多い現状です。安高生の活動の成果を、多くの方々にご覧頂く機会が少ないことに忸怩たる思いであり、人と人とが直接交流できない状況に、もどかしさを覚えるばかりです。そんな中、令和3年12月に136期生が四国への修学旅行を実現できたことは、今後に繋がる大きな歩みでした。校内幹事の小林幸大教諭(109期)の同期生が小豆島在住であり、その縁あって現地でお世話になるなど、改めて全国で活躍する桑野会員の層の厚さを感じたところです。 桑野会の活動においては、東京桑野会をはじめ各支部にお邪魔して会員の皆様方とお話しする機会がなく、残念でなりません。本稿を執筆している令和4年1月時点では、オミクロン株による感染症第6波が猛威を振るっておりますが、令和4年度は皆様と歓談する機会があることを願っております。 さて、本県教育の大きな課題として県立高校改革があげられます。少子化に伴う生徒数の減少、高校教育に関する意識の変化、交通事情の変化など様々な要因を背景とした改革の必要性は、以前から叫ばれておりましたが、東日本大震災後の状況の変化が改革の必要性を加速化させ、現在、令和元年度から5年間の「県立高校改革計画・前期計画」が実施されております。この改革において安積は、県内4校の進学指導拠点校のうちの1校に指定されており、令和4年度からの単位制・コース制の導入や令和7年度からの併設中学校設置に向けて準備を進めております。一方、県全体では、高校の統廃合を余儀なくされる状況にあり、県立高校は令和元年度の90校から改革の完成する令和10年度には71校にまで減ることになります(休校中の相双地区の高校を除く)。 この改革の一環として、安積高等学校の御舘校が、令和4年3月をもってその歴史に幕を下ろし閉校となります。ここで、頁をお借りして御舘校について記したいと思います。 御舘校は、昭和23年、戦後の学制改革の中、田村高等学校御舘分校として当時の御舘中学校の教室を借りて開校し、爾来74年の時を刻んで参りました。阿武隈の丘陵の中腹、歌舞伎で有名な郡山市中田町柳橋の地に立ち、これまで地域社会を支える有為な人材を輩出しております。卒業生は、最後の生徒となった令和3年度の3年生を含め2,439名を数えます。学校設立の初期から続く生徒会文芸誌「渓流」をひもときますと、誕生から現在に至るまで、地元中田町の方々をはじめとする多くの方々の熱い思いが、脈々と受け継がれてきていることを実感いたします。 設立に当たっては、当時の田村郡御舘村村長、宗像直幸氏(本校21期)を始めとする地域の方々が、戦後社会における子弟教育の重要性に思いを馳せられ、「地域づくりは人づくり」の決意を持って県当局に要請し、その熱意が通じ創立に至ったものです。開校当初は、勤労青年のための定時制課程農業科・家庭科が設置され、その後、校歌の制定(昭和32年)、行政区画の変更による安積高校への移管(昭和42年)、時代・地域の要請に伴う定時制から全日制過程普通科への転換(昭和48年)、現在の柳橋の地への新校舎建設(昭和55年)など、幾多の変遷を経て今日を迎えております。開校初期、学校存続のために在校生自らが近隣の後輩宅を訪問し、高校教育の必要を説いて入学の勧誘を行ったなどの逸話は、戦後の新しい社会に躍動しようとする若者のエネルギーを見る思いがいたします。現在の校舎は、普通科への転換に際し、より良い環境で生徒に学んでもらいたいという地元の方々の思いに始まり、移転用地の選定から県・市当局、地権者の方々との交渉など地域の総力を挙げての御支援があって実現したものであり、「第2の開校」と呼ぶべきものでした。 過去を知る方に話を伺うと、かつては本校と芸術鑑賞教室など行事を共に行ったこともある様ですが、近年は生徒数が減少し、最後の卒業生は10名となりました。少人数の中でも体操部が学校の象徴となり、令和3年度には新潟県で開催されたインターハイ全国大会の新体操競技に男子1名が出場し、中田町の方々から贈られたレオタードを纏い見事な演技を見せました。最後の生徒達は、コロナ禍という予期せぬ事態をも、ソーシャル・ディスタンスが取りやすいという利点として捉えるなど、高校生活を満喫して旅立って行きました。時代の流れの中、御舘校の閉校はやむを得ないことではありますが、その歴史を振り返る時、かつて我々の先達が有していた教育への渇望や、地域の方々が学校に寄せる想いを感じ、教育の不易たることについて考えさせられたところです。 私自身、御舘校の最後に関わったことで、先輩諸氏の母校に寄せる想いを強く感じました。この想いを胸に、今後とも安積高校の発展に貢献してまいりたいと考えております。東京桑野会の皆様には、今後とも母校安積高校に対しまして、温かいご支援・御協力を賜りますようよろしくお願いいたします。 |
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