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2025.01.07 フクシマの復興を願って 《進む除染と住民の帰還定住化》
                                                    東京桑野会ホームページ委員会制作・編集
 3回に亘って「イチエフ問題を検証する会(匿名OB)」からの投稿ブログを掲載した。福島原発事故の被害を忘れないために、14年間経過してもなお現状復帰していない現実を真摯に受け止め今後の復興事業を支援していきたい。この章では、2024年12月末現在の双葉郡双葉町や大熊町を中心とする「除染特別地域」に指定された地区に、震災及び原発事故以前から居住していた人々の帰還定住化状況を見ていきたい。
 東日本大震災での地震と津波により、道路や家屋が損懐あるいは火災消失、田畑や里山の被災など物理的に被害に遭った地域については、地域の住民や関係企業並びに国費や県・市町村費、地方公共団体の協力など多くの援助を受けて復興が進んできた。海岸には防潮堤が整備され、住宅地域は高台に移転し、鉄道や電気などのインフラ設備も整ってきた。しかしながら原発事故により放射性物質に汚染された地域は、風評も含めて依然として復興したとは言えない。「フクシマ」は負の遺産を背負ったまま、故郷に未だ帰還できない住民が数多い。
 2024年12月現在の、放射能汚染が多大だったいわゆる「除染特別地域」について、帰還許可となったのは図1の緑色格子線部分の通りである。「除染特別地域」とは、2012年8月に公布された「放射性物質汚染対処特措法・第25条」にて制定された、図1のオレンジ色の太線で囲まれた、飯館村から楢葉町までの地域である。灰色の部分は、未だに帰還困難区域に指定されている。
図 1 : 除染特別地域の現状(2024年12月)
除染特別地域の現状
 もう少し詳しく見ていこう。灰色着色の部分に、薄緑と濃い青色の部分がある。それぞれ「特定復興再生拠点区域」と「特定帰還居住区域」と呼ばれている。前者については2022年12月までに避難指示が解除され、住民の帰還居住が許可された。後者は2029年12月までに「インフラの整備と更なる除染」を実施し、住民に帰還居住を許可できるよう、国が約束している区域である。いずれも空間放射線による積算被曝量がおおむね年間20ミリシーベルトを下回ることが条件である。前のブログ中に示していた「大熊町夫沢三区集会所モニタリングポスト」の場所は、濃い青色の「特定帰還居住区域」に指定された場所にある。現在は年間積算被曝線量として、30ミリシーベルトのレベルとなっている。図2に大熊町だけを拡大した。図1で濃い青色の「特定帰還居住区域」が、図2ではダークピンク色で着色してあるので注意。図3は双葉町だけを拡大した図である。町ごとに出典資料が違うため、地域の着色が若干異なっているので注意のこと。
図 2 : 大熊町の特定帰還居住区域(2025年1月)
大熊町の特定帰還居住地域
 まだ立入禁止あるいは立入制限されている「帰還困難区域」については、あと5年程度では年間積算被曝線量として「20ミリシーベルト」以下をクリアすることができない場所となる。山林がほとんどであるが、住民の立ち入り希望が多い場所から順に、除染やインフラの整備を進める計画となっている。ただし期限はまだ定まっておらず、今後の法規制の更新とともに帰還可能区域を指定しながら整備していく予定だ。
 ただし国が避難指示を解除し帰還・居住が許可されたとしても、空間放射線量は年間積算で20ミリシーベルト(測定値として、3.80μSv/hr)を最大値として曝露することになり、事故前の0.04μSv/hrレベルには程遠い。放射源がセシウム137と仮定すると、自然崩壊による物理半減期30年から計算し、事故前レベルに到達するには少なくともあと200年が必要となる。山林部に降り注いだ放射性物質は降雨により洗われ、河川に流出して濃縮され池や湖、ダムなどに蓄積していく。いずれは太平洋に放出されていくだろうが、単純に放射性を有したまま広く拡散するだけで無くなる訳ではない。これが核燃料にもなるウラン235やプルトニウム239だったとしたら、物理半減期は前者は7億年、後者が2万4千年であり、人類の生存する期間を想像すると放射能は永遠に残るという計算だろう。
図 3 : 双葉町の特定帰還居住区域(2025年1月)
双葉町の特定帰還居住地域
 図1の除染マップをもう少し拡大したものが図4である。また区域ごとの着色の仕方が異なり見にくい図となってしまったが、黄色着色部分が「帰還困難区域」である。その周辺の薄いグレー部分は、除染特別地域に指定されたものの既に除染作業を完了し、避難指示が解除され帰還・居住が可能となっている。茶色着色部分も「特定復興再生拠点区域」に指定されていたが、2022年12月31日までに避難指示が解除され帰還・居住が可能となった。
 一方で福島第一原発敷地のすぐ外側周囲に設定された「中間貯蔵施設」は、国が民間から買い上げて放射能汚染物(主に除染時の土壌)の貯蔵所として2045年3月末までの貯蔵期限付きにて法制化された。
◆◆環境省解説:中間貯蔵施設情報サイト◆◆
 この中間貯蔵施設に福島県内外に仮保管されていた「除染により剥ぎ取った表土」や「被曝した草木」、「被曝した廃棄物」・・・法では「除染土壌等」と言う、を安全にかつ集中的に貯蔵して、今後20年間に金属や可燃物を選別して除去し、特に低線量土壌については建築資材や道路工事用として転用したり、高濃度のものはできるだけ容積を減らして貯蔵設備に保管する事業を実施している。高濃度の放射能汚染廃棄物については、まだ決定していないが福島県以外の場所に最終処分場を定めて、深地下や海底に「安全に」かつ「永久に」保管するとしている。永久処分場に全ての放射能汚染物が搬出された後の、この区域の利用については未だ何も決まっていない。100年後、200年後に「笑い話」として未来の人々が安心して暮らせる世界が広がっていることを、強く希望する。福島原発の敷地も、廃炉作業や燃料棒・デブリ・汚染廃棄物の搬出など放射能汚染物質の搬出が全て完了すれば、東京電力は国または福島県に土地を譲渡するものと考えられ、チェルノブイリ原発のように「石棺」で永久封鎖されることはないと思う(希望的な観測ではあるが)。
図 4 : 除染特別地域の全体拡大図(2024年12月)
除染特別地域の全体拡大図
 平成24年(2012年)5月には、約16万人の方(うち県外約6万人 県内約10万人)が県内外へ避難した。その後、避難指示区域の解除が進むにつれ、避難者は減少したが、未だに多くの方が原発事故前に居住していた場所へ戻れない状態が続いている。
図 5 : 避難者数の推移(2024年11月)
避難者数推移
◆◆ふくしま復興情報ポータルサイト:避難者数の推移解説◆◆

注)図表と記事内データについては、環境省の情報サイトおよび福島県の復興情報サイトより引用して作成した。

 番外編ではあるが、旧・ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の西端に位置していた「チェルノブイリ原子力発電所」の事故についても追記しておく。1986年4月26日、現在のウクライナとベラルーシの国境近く、ウクライナの首都キーウ(ロシア語でキエフ)から北北西110kmの位置にある、チェルノブイリ原発4号機の原子炉が暴走し水素爆発した。放出された放射性物質は福島第一原発事故の30〜50倍とも言われ、近隣地域はもとより偏西風に乗って世界に分散した。1991年12月のソ連崩壊の後、独立国となったウクライナが所有している。ロシア軍のウクライナ侵攻で、一時期ロシアに占拠されたが、現在は奪還している。事故現場は「石棺」と呼ばれるコンクリート製のドームに覆われ、放射能は封じ込められた。当時はソ連の秘密主義によって世界に報じられることがなく、西側諸国が気付いたのは2日後、欧州での放射線量異常値からIAEA(国際原子力機関)に報告すると共に、スウェーデンの在ソ連大使館から問合せた。当初ソ連政府は原発事故や核実験の事実はないとシラを切っていたが、隠しきれなくなりチェルノブイリの事故を認めた経緯がある。現在もなお、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアの3箇国にまたがった、高濃度の放射線が検知される地域は、居住禁止の帰還困難地域となっており、その避難民は15万人とされている。38年が経過し「石棺」の傷みも激しく、このままではいつ放射能が漏れて再汚染が広がるのか不安であるが、周辺地域の空間放射線量を計測して記録する手立てしかなく、戦争によって放置状態が続いている。チェルノブイリはロシア語での読みで、ウクライナ語では「チョルノービリ」と呼ぶ。

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