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 東京桑野会 沿革
 東京桑野会は、旧制福島県立安積中学校及び現在の福島県立安積高等学校に在籍した方で、首都圏在勤者及び在住者の親睦団体です。会の名前にある「桑野」は、母校創立の 5年後の1889年(明治22年)3月30日に、福島市から移転した村の名「安積郡桑野村(現郡山市)」から採っています。
 1893年(明治26年)11月5日「向島洋酒店すみや」にて福島県尋常中学校茶話会が開催されました。発起人は、新城新蔵他計6人。出席者は、高山林次郎(樗牛)他計15人。これが、記録上の第1回東京同 窓会です。また、朝河貫一が渡米の際に、同氏の送別を兼ねて上野公園で同窓会が催されたり、在校生が修学旅行で上京した時に合わせて春の会合がもたれたという記録もあります。戦前までの活動は何度か中断しま した。
 戦後になってから第1回の総会は1951年(昭和26年)の初夏に開催されました。組織的にも充実化を図り、戦後の初代会長は毎日新聞社論説員の永戸政治(21期)が務めました。当会の創立は明治26年11月5日で、名称は「福島県尋常中学校東京同窓会」でしたが、昭和初期には既に「東京桑野会」と呼ばれていたようです。昭和26年7月の当会再出発時は正式名称「東京桑野会」とした会則が制定され、その後は毎年1回定期総会・懇親会を開催しています。1952年(同27年)から1984年(同59年)までに計5回、東京桑野会会員名簿を作成しま した。現在の会員は約 3,000人です。
 1982年(同57年)4月1日、『東京桑野会会報』を創刊。当初の年2回から現在は毎年1回4月発行になり、今年(2022年)で第44号を迎えました。現在の発行部数は 4,600部、うち会員発送 2,800部(会報不要連絡者、前年度配達不能者を除く)、母校に 1,500部。他 地区の桑野会(仙台、関西)、東京花かつみ会(安積高女、安積女子高、安積黎明高同窓会)、国会図書館や福島県立図書館にも納入しています。
 なお戦後の再出発から数えて、2代会長は三澤敬義(就任時、同愛記念病院院長26期)、3代会長は壁谷祐之(同、朝日新聞社社友31期)、4代会長は澤田悌(同、短資協会会長、元日本銀行理事42期)、5代会長が古川清(同、宮内庁東宮大夫63期)、そして現在は6代目の浅川章(元警察庁警視監76期)氏となっています。
 「東京桑野会」の名称は、1921年(大正10年)10月17日に東京・戸山ヶ原(現東京都新宿区戸山)に学生用寄宿舎である「桑野寮」が開設され「東京桑野寮」と呼ばれていたことから、その卒寮者たちが自然と親睦団体としての同窓会を「東京桑野会」と呼ぶようになったとも言われています。この「桑野会」の呼称は、郡山本家同窓会の「安積桑野会」が命名されるよりも、ずっと古いと言い伝えられてきました。
【出 典】
1.「福島県立安積中学校五十年史」 1934年(昭和9年)3月31日刊行
2.「福島県立旧制安積中学校・安積高等学校百年史」 1984年(同59年)9月7日刊行
3.東京桑野会「会報bP6号」 1994年(平成6年)3月1日発行
(その他沿革に係わる情報をお持ちの方は、事務局までご連絡ください。)        改訂日: 2022年3月20日 
 【参照】 ⇒旧制安積中学出身者のための学生用寄宿舎、『東京桑野寮』開寮の地を探る。
安積応援團旗


挿絵: 岩谷 徹(67期)
応援團旗と高歯下駄
昭和12年の東京桑野会総会
 東京桑野会 三原則 [(故)澤田 悌 前会長創設の三箇条]
@ 桑野の母校に学んだという共通の経験に結ばれた同窓の親睦の会であること
A 会員はみんな仲良く相親しみ楽しい会であること
B 何らかの意味で会員の頼りになるような面もある会であること
 東京桑野会 会則
東京桑野会会則  東京桑野会会則 44KB  平成29年5月31日開催の総会にて、会則の一部改訂が承認されました。
安積桑野会会則(郡山本部)  安積桑野会会則(郡山本部) 82KB  桑野会本部の会則は参考までに掲載しました。改訂などは、本部に確認して下さい。
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